いちばん大事のあいのおはなし

愛と美のエネルギー、ハイアーセルフのことなどいろいろと。

母親の愛を感じたとき

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私の母親はどちらかというと、能天気な方で、
志村けんさんのバカ殿を見てゲラゲラ笑い、
なぜか森進一さんのことを毛嫌いしている…。
セール品で安かったものを買うと自慢し、
暗い色の服を着ていると「辛気臭いわ~」というような
大阪のおばちゃんなんですけど、
そんな母親に感動したことがありました。

母親とは、電車や車で1時間ぐらい離れたところに住んでいて、
月に一度、ランチを一緒に食べるために外で会っているんです。

いつものにように、ランチに約束した時間に行くと、
母親はすごく体調が悪そうで、声もかすれた状態。
風邪をひいている。ということでした。
料理を注文したけど、なかなか食も進まない。
話をしていても、言葉が出てくるまで時間がかかり、
ろれつも回らなくなって、ただの風邪ではないような
状態になってきました。
病院に行ったほうがいいと思い、
「体調がひどそうやから、もう帰ろう」と
いうと「そんなにひどいか?」と自分ではそこまでと
思ってない。
駅まで行く途中で、母親に
「何でそんなにしんどいのに、無理してくるの?」と聞いたら
「約束したし、せっかく会える日やから」というのです。

会おうと思えばすぐに会える距離にいるし、
今日じゃなくてもいいはずなのに、何で無理をするのか。
と思うとすごく泣けてきました。

父親にすぐに病院に連れて行ってほしいと
連絡したら
「今日は行くのをやめときといったのに、聞かなかった」と。
あとで病院にいくと、肺炎になりかけていて、
そのあと、治るのに1か月ぐらいかかったのです。

1か月に1回は会っているのに、
肺炎になりかけている状態でも私に会いたかったのか。と。

母親が愛してくれている。私のことを想ってくれている。
と思えて、とてもありがたく、うれしい。
母親の愛というものを感じさせてくれたときでした。
自分の体調も関係なくなるぐらいの想い。
私もその想いでやっていこうと思うのでした。

素直は素晴らしい。

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素直という言葉はいいですよね。
「素直でかわいい」「素直でいい子」と子どもを
ほめるときに使うイメージがありますが、
素(もと)から直(なお)す、ともいって、
本来にもどる。という意味があると思います。
素(す)のまま、装いがない本質ですね。

素直がいいのはわかっているのに、
素直でないとき。
それは何か居心地がよくない状態になります。

モヤモヤしたり、後悔したり、
とにかく快適でない感覚。
そんなときはたいてい、素直な心でないときです。

本来の自分でないから、居心地が悪いんですよね。

何か認めるのが恥ずかしいとか、
要らないプライドが邪魔してとか、
相手を責めるとか、
自分のことばかり考えているとき。
本来の素の自分じゃないってことだと思います。

どうやったら、素(す)になれるか。

まずは、自分がカッコ悪いと思っていることを
認識、認める。
自分がどう思われようがかまわないって
自分は素(す)晴らしいんだと。さらけ出す。
素直は素晴らしい。ということ。

素(もと)はみんな、純粋できれいな赤ちゃんで
あったわけですから、素晴らしいんです。

素直じゃないと、どんどんカッコ悪くなっていく。
余計なもの、必要のないもので装いをするから・・・。

みんな、素直でかわいい、いい子でいましょうね♪

真心とは?

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真ん中に心がある愛は「真心」
下に心がある恋は「下心」。
というのは聞いたことがある人も多いのではないでしょうか・・・?

心。というのは見えないですけど、
あるんですよね。
それも位置が結構大事。
下でも上でもなく、真ん中。
どうやったら真ん中の心になるかというと、
やはり「真心」になっているときなんですね。

相手のためになること。
相手が喜ぶこと。
誰かのために誠心誠意を尽くす。
全身全霊で与える。
母親というのは、子どものために。やっていることが
多いと思います。
「今日は元気だろうか?何を食べさせてあげようか?」と
常に気にしているような感覚。

心を大きく広げて、やさしく包んでいる状態。
心を真ん中にすると、ハートオープン状態になっていくんですね。

周りにいる人に対してもわが子のように
すると、家庭以外でも、真心=愛のある状態が
長く続くと思います。

自分も周りの人も誰かの子どもですからね。
くしゃみや咳をしていたら、「大丈夫?」と声をかける
だけでもいいですよね。
ぽんぽんと背中をやさしくさすってあげてもいい。
(電車で居合わせたような知らない人にしたら変態と思われるかも
しれないので、臨機応変に~)

心は真ん中でいきましょう~。

森羅万象を師とする

森羅万象を師としていた葛飾北斎

以前、葛飾北斎の波の絵は「フラクタル」だとテレビで紹介されていました。

フラクタルは、ひとつの形ですべてできている、全体と部分とが相似である自己相似。

The Great Wave off Kanagawa

ウィキメディア・コモンズより】

 

代表的なフラクタル図形が野菜のロマネスコブロッコリー

Chou Romanesco

ウィキメディア・コモンズより】

 

ミクロなものが集まってマクロが作られる。

自然の縮図のようなもの。

 

波の形は、すごくスローモーションにしてやっと葛飾北斎が描く波の形に見えるそうで、よほどじっくり観察しなければ見えない形だとか。

本当にじっくり自然、世界を観察して、自然の仕組み、成り立ちを

認識していたのではないでしょうか。

北斎という名前は、北極星から取ったということで、

天体のこともよく見ていたのだと思います。

人が美しいと思うものには黄金比率になっているといいます。

葛飾北斎が描く波のように。

自然の形は人が美しいと思うよう設計されているかのように

フラクタル黄金比率になっているようです。

絵で人を感動させる絵師にとって、森羅万象を師とする。ということはもっともなことですね。

自然は美しいだけでなく、仕組みとして納得するようなこともあります。

何か行き詰まったら、アイデアのヒントをもらうなら、自然をじっくり見てみれば答えがわかるかもしれません。

 

 

 

 

 

自分に聞く。心と話す。

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質問があるところには答えがある。といいます。
質問と答えは一体。
質問が出た時点で答えはあると。

まずは、日頃の小さな疑問でも何でも
何でも思いつくままですね。
自分の心に話しかけてみるんです。

AとBの選択肢があって、どちらにしよう?と選んでいるのも
心に聞いているのと同じようなもの。
パッと出てくるのは心の声。
悩みすぎるものは頭(脳ミソ)を使っている場合。

答えの内容が、何だか重かったり、暗かったりするのも
頭(脳ミソ)を使っている場合が多いです。

心の答えはたいてい「おお、そうか」という発見のような
驚きであったり、ワクワクしたり、やる気になったり、
ポジティブなものです。

例えば私の質問
「美とは?」についての
答えは
ー生命が宿っていること
ー愛の現れ
ー美=愛
ー美=自然
ー美=感動
などが出てきます。

周りの人の意見ももちろん参考になりますが、
最終的には自分自身で「これだ!」と思えるかどうか。

ふと瞬間に「これはどういうことだろう?」と
質問が浮かんだときは、スルーせずに
答えを突き詰めていくことがおすすめです。

「なぜ?」「どうして?」と

子供のようにしつこく(笑)ですね。

新しい発見、気づきは、周りの人にとっても
役に立つことが多いので、
「こういうことに気づいた!」ということは
どんどん話すといいです。喜んでくれます♪

そして、話せば話すほど、また新しい気づきがもたらされます。

純粋なものを見るとモヤモヤがとれる

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これはわが家のネコが小さいとき。
わがネコながらカワイイ~~~♪♪

 

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こちらは成長後。
びよ~~んと大きくなりました。

動物や赤ちゃんは見てるだけで
癒されてますよね。

これはなぜかというと、純粋なエネルギーに
ふれると、余計なモヤモヤが外れて
自分自身も純粋なエネルギーになっていくからと
思います。

人は純粋なエネルギーにふれると
心地よく癒されたようになると思います。

好きなものを食べたり、飲んだり、しゃべったり。
歌って発散。とかもいいんですけど、
発散でスカッというより、純粋なエネルギーを感じると
おだやかなですっつーとすっきりする感覚が持続
するように思います。

なのでストレス発散。と思って、
思いきりお酒を飲むより、動物や赤ちゃんとふれあうことですね。
写真や動画でももちろんOK。

純粋なものをイメージするだけでもいいです。
どこまでも透き通った、何の混じりけもない水。
空間がその純粋な水で満たされていると想像したり、
自分の体が超純粋な水で満たされてることを想像するだけでも
結構、すっきり。してきませんか?

純粋さは癒しだけでなく、一途にひたむきな純粋な想いは
強さになります。

子どもが一所懸命に遊んでいる姿が現すように、
ひたすら純粋に何かを打ち込む。
ひとつのことに集中して何の疑いもなくやり続けている。
この純粋さになるまで、余計なものをそぎ落としてやっていく。
身も心も純粋でいきましょう。

 

君が代の穏やかさと美しさ

世界最短、最古といわれる国歌、君が代

君が代
千代に八千代に
さざれ石の
いわおとなりて
苔のむすまで

短い歌詞のなかに、ぎゅっと深い意味が凝縮されていて、
いろんなことにあてはめられる。
それゆえに、君が代の君は何を指しているのかとか、
とらえ方が諸説あって、ややこしいことをいわれてますが、
平和的なことは間違いないと思います(笑)
メロディも荘厳な美しさがあって、歌としていい歌だなあと思います。

現代語訳にすると「ラブレター」の内容だと言われている方もいます。
もともとは、「古今和歌集」で、お祝いの歌の代表作としてあり、千年もの昔から多くの人に親しまれていたもの。

他の国の国歌というのは
結構、戦いを掻き立てたり、自分の国の尊厳を歌ってる内容が多く、
君が代は異質なぐらい平和に思えます。

スポーツの試合前に歌うと、心がおだやかになってしまうので、
試合がしづらくなるという話も・・・。

でも、千年前から歌われている平和を愛する歌が
国の歌であることを誇りに思えます。

君が代の歌のように、穏やかで美しい世界を作りたいですね。